言葉は文章で用いられる時と、会話中で使われる時とでは用法を異にすることがある。文章中では、内容を正確かつ客観的に説明することが問われるが、会話中では話し手と聞き手の間でのやり取りが主題となる。
「全然」という言葉がある。否定語を伴い、否定を強調する副詞である。例えば、「こいつは全然理解しやがらない阿呆だ」とか使う。この例の場合、全くをもって理解しないという強い否定を意味する。この「全然」は普通の「ない」などの否定語では意味が弱いときに強調するために使うのである。
しかし、会話中ではこの「全然」は否定語を伴わないことがある。例えば、「そいつは一見、ひ弱に見えるが、全然度胸が座っているよ」など。この「全然」は話している同士の共通理解とは違うことを強調する意味合いがある。短く言えば、「非想定強調」とか「意外強調」かな。聞き手が思っていることと事実が違うことを示すためにこの「全然」が会話中で使われたりするのである。
会話中では、話し手が聞き手の思っていることを変えさせる主張をしたりするわけだが、そのために強調表現が多様される。従って、言葉は通常とは違った用法で使われたりするわけである。ただ、この用法の変化は半ば強引なところがあるので、文章中では少しばかり乱雑に感じる。そのためにこの用法の変化はしばしば言葉の間違った使い方とか言われたりする。間違った使い方と捉えるべきか、口語表現のための変化と捉えるべきかどちらを選択した方がいいかは人それぞれであろう。
ちなみに、否定語を伴わない「全然」は、単なる「とても」、「非常に」の意味で用いられることはない。と、個人的には思っているが、そう使われるようになったら、世も末だなと私は思う。
これ、全然うまいんだが、どうやって料理したんだよ。
やっぱ、君は全然すごいや。
このテレビ壊れてるとか言ってたけど、全然映るぜ。
お前の肌は全然ぷにぷにしてて触り具合がいいな。