最近、読売新聞では消費税率上げの正当性を訴えている。現在困窮している日本の財政事情を立て直すためにも消費税率上げによる税金増収は必要らしい。ただ、昔からだが消費税上げは多くの有識者から支持され、そう考えるのが知的なんだという感じを与えてもいる。しかし、なんかこのあたりベクトルを感じるんだな。
不況で税収減少、高齢化による社会保障費の増大など増税が必要な機運が生じている。それを所得税、法人税の増税から賄うことは労働者の意欲を削ぎ、国際競争が激化している昨今の日本企業にとって不利益である。そこで、日本全体からまんべんなく増税する手段である消費税率上げが一番最良の手段だというのはなんとなく説得力がある。外国の消費税率を見ても日本はまだ低く、税率を上げる余地もあるというのもそれなりに分かる。しかし、もっと問題を単純に考えれば、国家財政が厳しいから増税するただそれだけなのである。どの分野においてどういう方法でで増税するかというのはあまり重要でない気がする。そこに増税論議の隠された主題があると思うのだ。
単なる増税はデフレ経済の本質を分かっていない。デフレ経済は人、モノ、金があまる減少なのだ。デフレというと物の価値が下がる、つまり、金が足りなくなる現象に見えるが、現在のデフレは人、モノ、金という経済の3要素がすべて余っている状況。金が余剰でも実体経済からはあまり見えないものだが、人、モノはあからさまに余剰が見えてしまう。だから、3要素が余る場合でも人、モノという2要素が余っているという状況、つまり、デフレに見えてしまうわけ。ま、この辺は私の独断と偏見だけどね。
人、モノ、金が余るというのは社会に方向性がないからだ。何十年か前だったら戦後復興、高度経済成長、開発の嵐などいくらでも方向性があったのだが、今はない。それでいて、高齢化やら自然破壊やらに注視しなくてはいけなくて、経済の質を変える必要になった。生産力の向上で人やモノが余る。高度な生産技術を確立したお陰で日本経済の外国における評価がとても高まり金(外貨)も余る(注意しておくが、投資のための評価ではない)。国際競争に勝つため、不況を乗り越えるためにコスト削減、リストラで人が余る。結局、最善の策及び結果を得たために人、モノ、金がすべて余ってしまった。その余っているもろもろを何かに回せばいいのに、回さないでダブらせるだけだから現在のデフレ経済の状況に至ってしまった。
すべてが余っているのに困窮している経済状況、これは、現在の経済システムの本質に問題があることに他ならない。簡単に言えば、インフレが前提で動くシステムである。借金はインフレで未来において清算する。国債もしかり。経済は金で動くが、現在経済が動くための金を今借金して払い、未来において清算する。清算時はインフレで実質的な額面が減少しているから返済が完了する。これは言わばインフレ幻想経済システムである。このシステムは何か大きな目的があって、それを目指すことで実体経済が拡大し、そして拡大した結果、昔投資した金を回収するということである。さらに言えば、株式という超幻想資金による財産増大もこのインフレ幻想経済システムを支援している。国がプロジェクトを立ち上げるとき国債を発行するが、国債は後で返済しなければいけないわけで、プロジェクトによってインフレが起きない限り回収は不可能。国の経済システムはインフレによる過去の金の価値の減少に依存している。そして、減少が足りない分は株式による仮想の金の増大が補うのであり、これが現在の経済システムのすべてである。
ただ、このシステムはデフレになると破綻する。これが今の状況である。この問題を解決するためにはインフレを実現するか、経済システムを変えるしかない。ただ、インフレ実現するには大きな社会的・経済的目標が必要であり、未来像がまったく見えない現在では難しいかもしれない。経済システムを変える方法もあるが、これは発想の転換が必要である。
よく高齢化問題がうたわれている。社会保障費を税金・年金から賄えないという。ただ、これは帳簿上で賄えないということでしかない。失業率が高い現在、老人を介護するための要員はいくらでも用意できる。高い生産力が確立した現在、老人のための医薬品やら食料などの供給の問題もないだろう。ただ、金が足りないだけなんだが、老人の社会保障には人やモノがあれば十分であり、その実現に金があるなしは関係ない。帳簿で収支が釣り合わない問題と現実実現可能かという問題は本質的には相関がないと思うが、今は金が支配する社会で帳簿の上で杞憂するのが流行らしい。
国債は返済義務があるが税金はその義務がないから、現在の国家財政の問題を解決するには国債発行ではなく増税が必要だと思える。人・モノ・金の3余り減少は人・モノと金の関連性が弱まっていることの裏返しでもあり、増税により金を集めたところで人・モノの余りは解消されるわけではない。金は余っているといっても、実際流通する量が経済活動の活発度に依存するので、その有意性のある金の流通量は決して多くない。そして、この有意性のある金を増税により経済から取り上げると、経済に多くの悪影響を与えることにもなるだろう。ここに、金によらない増税が必要だと思えるのである。それは徴用である。税金の名の元、人・モノを金を介さないで国の意図のもと使役することである。現在のデフレ経済下ではただでさえ少ない金の流通を減らすことは多くの不利益を生む。一方国の社会・経済の活動を活発化させるには大きな流れを作る必要がある。それには国による徴用によるある種の徴税行動が必要だと思うのである。国債を介さない造幣及び紙幣のばらまきも同様の効果があるかもしれない。
で、具体的にどうすればと言ってもあまり分からないんだよなあ。国じゃなく社会・経済側で金を介さない人・モノの流通を増やせばいいんだけど、やはり、貨幣経済の原理に反するんだろうね。金が株式・先物・為替などの市場でばっかばっか増えたり、消えたりしている様を見ていると、金に対する信頼が薄れてしまう。市場経済の市場は人・モノ・金が有意に相関してうごめき合うところだと思うんだが、昨今は株式・先物・為替などの特殊な市場が幅を利かせてしまって、市場経済の良さが消えてしまっているところがすごく嫌だ。
とりあえず、私が一番言いたいのは、消費税率上げというのは増税の手段の一つに過ぎないということ。国の財政問題を解決するために単純に増税するのはいい方法とは言えない。それは、帳簿上の辻褄(バランスシート)合わせに過ぎないからだ。株式等々の市場から生まれる無形・幻想の財に依存しすぎている状況で、人・モノ・金の有意で相関性のある関係が壊れてしまっている。それがデフレを生み出している。これを解決するためには発想の転換とシステムの飛躍が必要であり、とても難しいが、これを乗り越えることができれば一歩進んだ経済・社会システムを構築することも可能なんじゃないのかな。