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2003/08/01: 小栗忠順 その1

 好きな日本の歴史上の人物と言うと小栗かな。幕末に大活躍し明治後の発展の礎となった幕臣。大人物なのに高校の教科書にまったく出てこない。戦前はきちんと評価されていたようだが、それでも薩長の敵だったためその事跡があまり表には出てこなかったみたい。とりわけ、学者側がきちんと評価しなかったのが大きいみたいだが、それでも、小栗の行動した結果の直接の利益を受けた人たちには受けが良かったっぽい。

 彼を知ったのは星新一(本名は星親一)の短編「はんぱもの維新」。十数年前、これを読んで以来好きになったが、最近ちまたで小栗が大々的に評価されてなんか面白くない。星親一の父星一は若くしてアメリカに渡り日本の知名度を上げるため現地で新聞を発行、日本に帰国後は後藤新平の援助があって製薬会社を設立し、「親切第一」を標語に順調に行くかに見えたが、後藤の政敵から敵視され政官共々から不当な攻撃を受け事業は頓挫する。政界にも進出するものの会社の再建の激務もあってか目標を果たせずまま死去。その後の会社整理の地獄を息子の星親一が負わされることになり人生観が変わったらしい。政府=薩長相手に戦い、両者ともに時代の新気鋭として活躍するも途中で挫折という共通性を感じたのかは知らないけど、星新一の数少ない史実をベースにした小説の主人公として小栗忠順が取り上げられた。

 光栄のゲームに幕末を扱った「維新の嵐 」というものがある。私はプレイしたことないが、小栗をプレイするたびに幕府が倒れると嘆いている人がいた。小栗をプレイすると倒幕する強制フラグが立ったりするのかなと思った。ま、よくは知らないけど。

 小栗の事跡は特に述べない。小栗家の家風が剛直そのもので、忠順自身も剛直だった模様。一方謀に弱く、彼とよく比較される勝安芳の正反対な性格。その性格のせいか、幕末の動乱の中、小栗は死に、勝は生き残った。一方で、明治以後に大きな影響を陰ながら小栗は残したと思うが、勝は、幕府一の策士であっても策士揃いの薩長政権内では影が薄かったのか、旧幕府繋がりが強い勝が薩長政権内で活躍するのを危険視したのか、権力抗争の中で生き残るのは難しいと勝が思ったのか、新時代の改革には勝は役不足だったのか、明治以後の徳川家の世話ぐらいしか注目できることはやってない。とは言え、勝の方が名が残っているのは何故かは知らない。

 勝は勝なりに幕府崩壊に決着付けた偉業はあるけど、それは単に戦争における勝敗と同じく一時的なものでしかない。それが勝らしい活躍と言えるかもしれない。明治以後の大きな流れの土台となったものを小栗が作ったと思うのだが、土台はよく見えないものというのに当たっているのだろう。それで、私は勝タイプって気がする。少しの労力で大きな流れの決着を付けるのが好きという感じで、決着を付ける要因を成すことはできるけど、流れの大きな方向性は決めれないという……

 明治維新の幕府と薩長の関係って大人と子供だと思う。外国という他の大人と大人としての対応を取りながら、薩長という子供に対してはなかなか厳しく当たれない。そのうち、子供のずる賢い策略にすべてを失っていくという感じ。失うと言っても、徳川氏が権力を失うってだけど、別に幕府の人材の多くは明治政府に官僚として流れていくだけ。よく子供向きの歴史の本とかでは外国の対処をうまく取れない幕府が段々追い込まれて、外国と結んで先進性を獲得した薩長が幕府を倒す感じで書かれていたりするけど、実際は全然違う。長崎など対外的な情報の源泉は幕府の元にあって、強気に出てくる外国をうまく奉行以下(中下級幕臣)が対応していく。対応取れないのは老中や一部の奉行など上級幕臣や薩長などの多くの外様の藩の方だったのだし、上方は外国がらみということで朝廷工作に目が行き勝ちで実際的な対応が取れないのは仕様がないのかもしれない。ただ、この幕府が一枚岩で行動できず、実務的にうまく行動していく派と対応取れず派に乖離してしまったことが幕府倒壊の原因になったんだろうね。

 薩長が倒幕を実行し得たのは強引な借金の帳消しやら密貿易やら偽金密造というルール破りをして得た経済力からだった。そういうルール破りは、結局日本全体の経済からの搾取に他ならないし、財政難だと言っても破目を外さなかった幕府の行動と比較しても、大人と子供という差が見て取れる。薩長の力は土壇場の力であって、長期を見据えた潜在力でもなかったし、最終的には土壇場の力に幕府は屈するわけだけど、かわいそうにも思えたりもする。

 外国が日本に押し寄せてきた頃、井伊直弼が臨時職の大老になり大権を握って、開国路線で幕府はうまくいくかに見えたが、性急な対応が多くの反発を生み殺されてしまう。井伊が幕府の采配を続けていたらというIFは面白いけど、将軍以上の強力な職権をもった井伊がどこまで真面目に行動できるか疑わしい。ま、死んだのが結果良かったのかもしれない。井伊大老にアメリカ政府との交渉の事実上の全権を任されてアメリカに渡った小栗はそれなりの成功を収め、意気揚々と返ってきたら、井伊が死んでて幕府が分裂している状況を見て結構落胆しただろうな。ただ、井伊が死んで幕府の実力者がいなくなったから小栗の行動が生きるようになったのかもしれない。

 小栗が権力を握った過程はよく知らないが、外国の知識も若くしてすでに持っていた一方、アメリカの交渉で成功した実績があったから、幕府の開国派(改革派)から持ち上げられたんだろうな。また、賄賂を取らなかったから、逼迫する財政難にあって経費削減を大々的に行えた。改革に反発があっても剛直な性格で強引に通せた。そんなこんなで勘定奉行方として最大限の能力を発揮しながら、一方でそれで財政難がそこそこ回復することができたというのも大きいんだろう。金を工面できる人間は皆から一目置かれるだろうし。ま、そこには旧来の制度より外国に近い制度にすればなんとかなるだろうという打算があって、それがたまたまこの状況に適していて、成功しただけでしかないと思う。現代の日本もしくは世界の経済の改善するための見本のない破綻状況に比べれば、方向性が見えたのが良かったねと言えるだろう。

 小栗の幕政改革がうまく行ったのは中下級の幕臣のここぞの踏ん張りという気がする。それに、積極的に政策に顔を出さない病弱な将軍家茂やそこそこの知識人であり改革への理解もある将軍慶喜が大目に見ていたのも大きいんだろうね。でも、慶喜は賢い一方幕府を見限る先見の明があったのが小栗にとって、幕臣にとって不幸だったんだろうな。外国対策に大きな労力をつぎ込む一方、国内政策は後手に回ってしまったし、朝廷工作も薩長に出し抜かれて、朝敵宣言されると慶喜が即幕府を捨てて、小栗にしても幕府を支えてきた幕臣にしても対応取れなくなってしまった。その辺りで勝が活躍したわけだけど、内戦を極力回避し、そのためには幕府は捨てても構わないという対応を将軍慶喜が取ってしまった以上、内戦になっても確実に勝つ作戦を用意していた小栗一派にはどうしようもなかった。

 勝と慶喜は薩長が政権を握っても彼らだけでは国を動かす実績も実力も知識もないし、結局、徳川幕府に政権参入を願い出るだろうと高をくくっていて、そういう対応を取ったんだろうが、薩長がある面馬鹿過ぎただったのが失敗の元だった。薩長は折角取った政権に徳川氏を入れるつもりはないし、権力から生まれる利権を確保するために幕府勢を徹底的に排除する行動に出た。目先の利益が優先したのだ。ここで勝は失脚し、慶喜の政権復帰もままならずといった状況で、五稜郭の戦いで薩長が完全に政権を掌握する。そこで目先の目標が達成された薩長は困惑したんだろうな。次は何をすればいいんだという感じで。後は、幕府の事跡を吸収するのみで大体明治維新の改革が終わった。幕臣を吸収して改革を進めていく一方、利権を得られなかった武士の面々は立場を失って不満が昂じ、士族の反乱が相次ぐ。ま、宮廷工作に終始していた連中は良かったんだろうが、現場で戦ってきた連中にとっては戦争が終われば、仕事も目標もなくなるということで仕方がない成り行きでしかない。

 という話は終わりにする。明治維新直後に小栗は死んでいるので。薩長の武士は幕府が各地で開いた啓蒙のための訓練所で外国の知識を得たし、幕府の改革を引き継ぐことで明治維新後の政策の方向を得るという展開なので、別に幕府を倒した薩長政権が新時代を切り開いたわけでもない。うまく引き継いだというのは言えるかもしれない。それは、小栗らが目指した方向を彼らの方針のために多少変えながらも踏襲したということでしかない。この明治維新の事実を考えると、昔歴史の授業で学んだことはなんなんだろうと思ってしまうね。だから、別に大久保なり伊藤なり明治以後多くの大政治家が活躍するけど、新地を開く難しさを実行した小栗らに比べれば別になんでもない小人物なんじゃないのかなと思ったりもする。大久保なりがいなくても別の人物がうまくやったと思えるのだけど、小栗がいなかったらどうなっていたかは分からない。小栗ってあの時代のクリティカルな存在だったと思うのだ。ただ、小栗が実現できたことは幕政の改革と新時代への準備に過ぎないからあまり注目されないのは仕方がないとは思う。けど、そういう影っぽいところが小栗が好きなんだな。

 小栗の事跡で本に載ってるけどウェブでは見かけないことその一。幕府で新聞を発行しようと計画。編集長に福沢諭吉を指名。でも、反対されて実現できなかった。昔、徳川吉宗が改革を実行しても家臣に旧に戻され失敗してしまうと嘆いている古文を読んだけど、小栗の嘆きの古文も読んでみたいな。あればだけど。

 以上、独断と偏見で書いているので間違いやら勘違いがあるかもしれない。