数年前、貸し渋りが問題だと草の根 BBS で書いたら批判されたりした。ニュースやら知識人やらが高らかに「銀行の貸し渋りは解消されていて、資金が余りまくって貸出先を探すのが大変なぐらいだ」なんとかと叫んでいた時期。私は購読しているわけでもなくその辺の知識はないが、経済誌の情報丸呑みしている人が多そうだと思っていたし、批判されるのもしようがないのかなと思って特に反論はしなかった。「貸し渋りが解消されたし今こそ景気が上昇する機運であり株価が上がる時だ」という嘘まじりの一種の洗脳じみた宣伝は効果があるんであれば、それはそれでいいとは思うが、結局効果もなく、逆に経済への認識を誤らせる状況を生んだと思う。国民は馬鹿ではないから、簡単に唆されるわけでもない。でも、国民馬鹿意識はまだ上の人には多いんじゃないのかな。そういう認識が今後も経済政策を誤らせ続けるだろう。
結局、資金は潤沢だけど好条件じゃないと融資しないという銀行のスタイルを暗に言いたかったのだが、それについて言及している情報源があまりなかった。私の父は中小企業の経営者だから貸し渋りが深刻なのは実感はしていたのだ。銀行が融資するにしても日銀から資金調達する上での金利ベースの金利設定をしないで十何%当たり前という高い利子だし、結局、貸してくれても借り手はありがたがらないという面もある。利子が高いものだから、ある程度まともな中小会社は資金繰りは厳しいけどなるべく新規の借り入れをしない状況で運営できればいいというのを目指していると思うと、金融環境が最悪だというのを痛感する。ま、返せないにも関わらず金借りまくって会社を延命しているという所は論外。
今も昔も、基本的に金利が高いし、本当に金が必要なときには貸してくれないというのが問題なのだ。低金利時代で銀行が潤沢な資金を運用できる時代であり、資金をどう運用するかという経済を左右する手段が銀行に与えられているのだが、それを経済のためではなく保身で使っていたりする。金融政策は銀行を甘やかせ過ぎている一方、銀行が経済の方向性を与えないことで景気回復の見通しが立たない。つまり、銀行じゃなく、政府が経済の方向性を与える必要があるんじゃないのかなと思うのである。
しかし、公共事業を活発にやれというわけではない。銀行が経済の方向性を決定することができるわけではないと判断し、別の何かが経済の方向性を与えるよう新しい手段を考えるべき時期なのだ。その手段を見つけ、与えるのが政府の役目だけど、多くの人と同様政府も成り行き任せの市場原理主義に捕われているから、無理かなと思ってしまう。成り行き任せというのは、経済に好条件を設定すればそのうち株価が上がって景気が回復するじゃろということ。長らく続くデフレ不況を見ると成り行き任せは時間の無駄という気もする。
そもそも、経済の本質はいかに借金を増やし、支出を多くさせ、一方で、いかにインフレによってその借金を時間差で消失するかというのにある。少なくとも現在従っている市場経済ではそうである。インフレ・好景気な状況では借金をどれだけ増やし、活動を活発化させるかが企業の方向性でもある。運が良い会社は借金を帳消しできて、黒字にできるかもしれない。しかし、健全に黒字にできる企業は多くなく、増大する株の価値が経済の赤字の埋め合わせをするのである。増大する株の価値によって成長型経済から借金を見えなくするわけで、これは健全というよりも、隠匿という不健全性を感じさせるものでしかない。市場経済での好景気は株価上昇により借金の増大を帳消しにすることだから、今の株価下落気味では好景気は作り出せない。現在の株価下落気味というのは、実は、むやみに株価を増大させることを見透かしてしまった人類の知性の所与って気もするし、解決の目処は立たないに違いないと思うのである。
だったらどうすれば……で途方にくれるんだな。実際問題そのうち成り行き任せで解決してしまうんだろうが、何年、何十年も待たないといけないのは辛いよな。もっと、理知的な方法を取って欲しいと思うのだが、その辺、経済学者はどう思っているんだろうね。