よく新聞でアラブの人の発言のこういう発言を耳にする。「イラクへの攻撃はイスラムへの攻撃である。」かなり非論理的な発言である。北朝鮮への攻撃があったら、それは北朝鮮を含むアジアの攻撃となり、それはアジアの一部の日本への攻撃となるのかと思ってしまう。とにかく、こういう発言は敵か味方かという狭量な解釈しかできないことを意味すると思う。
今までの世界での常識から言うと確かにイラクを攻撃する根拠はない。けれど、アメリカがイラクを攻撃するからと言って、それを同宗教のよしみだからという論理でイスラムへの敵対行為だと否定することはできない。その論理では結局、同宗教だからイラクは何もしてもいいということになってしまいもするだろう。
また、日本で特に多いイラク攻撃への否定的な意見というのは、戦争は絶対悪だから止めるべきというものである。それでいて、国連決議を守ろうと他人任せをしたりする。自分はどう思い、だから、どう行動するべきなんだという意見をあまり聞かない。そういう無責任な立場からだと、少なくとも大きな責任を背負って行動しているアメリカを批判することができないような気がする。責任を伴わない主張というのはカスだからである。ま、そういうことを言うと、私がここで書いていること自体カスであるが。
私はイラク攻撃についてこう思っている。今、世界は国が自分勝手に振舞うことを否定し始めている。イラクが大量破壊兵器を抱えることさえ許さなくもなっている。世界は世界的な目標が見えないまま生産過剰によりデフレ不況の状態であり、それはものごとをより厳しく評価することを強めている。そして、厳しい評価によるある種の安全な世界がデフレ不況を脱する道だと思い込んでいる。それを一番感じていて、さらに、生産過剰という状況を多く体験しているアメリカが何か行動しようとしている。近年自国でテロもあり、力による安定化を世界に要求しようとして、その第一弾としてイラク攻撃を決定した。他の多くの国では、まだ、それぞれの国が自国の領分の範囲では自分勝手な行動をしてもいいと思っていて、アメリカのその行動を否定しようとした。しかし、世界の活動の大きなウエイトを占めるアメリカを抑えることはできなかった。
たぶん、イラク戦争後の世界の動きが今後の世界の有り様を大きく決めるような気がする。世界がより協同的になるか、まだ、各国の孤立した割拠を認めるか。アメリカがイラク戦争をうまく片付ければ、前者の傾向が強まるの違いない。一方、イラク戦争をアメリカがうまく片付けなく混戦になってしまうと、世界的なまとまった動きがなくなってしまい後者になるだろう。デフレによる生産過剰性が戦争へ引き込む流れを強め、自己否定的雰囲気は各国の衝突を増やすだろうから、今後世界はより協同的にならないとひと波乱がくるような気がしてならない。せっかく生産に余力が生まれているのに、それを戦争で費やすなど馬鹿げたことである。しかし、戦争がこの生産の余力をどう使うかの一番易しい解答であると思う。
第三次世界大戦を行って、もう一回第二次大戦後の状況を繰り返すのもいいだろうけど、資源がそこまで持つかなと疑問に思う。核兵器による地球規模の壊滅的打撃によって、戦後という状況は生まれないかもしれないし、戦後があったとしても資源的な厳しさからジリ貧となるに違いない。その後でイラク戦争でアメリカがやろうとしていたことの本当の意味(それはやっているアメリカも分かっていないだろうが)を知ることになるんだろうか。
第三次世界大戦が核兵器を伴わない世界各地での小競り合いであることなら、これはある意味アラブ人にとって絶好の傾向なんだろうな。たぶん、初めだけだろうけど。アラブは民主的な貨幣経済を持たないのに、石油という資源を持つことで外世界から資源を持って経済を買うことができている。その基盤のない経済はアラブの中で多くの偏向的行動を可能にしていて、内戦で国内は荒れているのに、そこそこの経済力を持つことを可能にする。それは、アラブ各地は燃えているけど、燃やすものは作らなければならないが、外からどんどん燃やすものが入ってくるから、結局、燃えつづけるということ。そういう状況でもアラブの人は満足できる、もしくは、馬鹿を演じられるのは、イスラム教がゆえなのかもしれないが、私はイスラム教を知らないのでなんとも言えない。ただ、燃やすものが外から入ってくれば幸せなんだろうが、世界大戦は外からものが入ってこないことを意味する。自由に内戦をやってもよいという世界大戦の認める状況が、逆に、内戦を楽に行う土壌を壊し、それは次第に不幸に感じるようになるだろう。ということをアラブの人がどれだけ考えているのか疑問に思う。
デフレ状況の生産過剰性をどう処理するかという未来像の暗に示しているのが今の中東という気がしないでもない。結局、戦争という自分で作ったものを自分で壊すという退廃的な自己消費型結末しか多くの人は考えられないんだろうな。というのを今の状況は多く物語っていて悲しいんである。