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2003/03/21: アメリカ・イラク戦争その1

 「アメリカ・イラク戦争」が始まった。アメリカ・イギリス連合軍がイラクに攻め込み、イラクは抵抗するのみという形ではあるけれど。時代が進むにつれて、戦争の正当性が揺らいできている。それは戦争がどういう力学で起こされ、どういう結末を生むかというのを人々が分かるようになったからだと思う。けれども、未だにその理解度は低いレベルで停滞していると思う。それは、この戦争への正当性について各国がどう主張し合って、そして、戦争が実際起こる状態になったかという過程を見てみればよく分かる。

 まず、イラクの問題を考えてみる。それは別にフセインという独裁者が気ままに国家を動かしているということが問題ではない。アラブ各国に言えることだけど、そもそもは石油という資源の問題である。石油が誰のものでどのように使うのがいいのかということを言いたいのではない。アラブ各国は石油によって富を築き、石油によって国が運営され、石油によって世界の一部に組み込まれている。それは、アラブ各国があの中東という位置にあり、そして、たまたま石油という富の源を持ってしまったことから生まれる、異常な力学関係が問題なのだ。石油がなければアラブはただの後進国であり、国外にも国内にも自己主張することはなく、平凡な世界であったと思う。ただ、石油という宝があったばかりに堕落してしまっただけで、石油がなければ日本や韓国、中国に匹敵する経済大国的環境を作っていたのかもしれない。それは、かつてのアラビア文化の繁栄を見ればそのような感じもする。しかし、実際はアラブには石油があったのだ。

 財産があれば堕落してしまうということはしようがないことであろう。別にアラブがすべてそうだと言うわけではない。アラブの大局を決定付けている力学が堕落してしまったのだ。石油はパワーの源となり、アラブ各国は軍事的にも政治的にも力を持ちえた。それはアラブ各国に紛争が多いことからも言える。石油は世界に通じる資源であり、アラブは後進国では成しえない世界的な経済圏にもがっちり組み込まれてしまった。それは、アメリカの主導するところのグローバリズムの影響を受けるということである。アラブがイスラム教の範疇で、そして、イスラム教の原理で動くことを世界の力学は許さないのである。グローバリズムはアメリカのものというわけではなく、地球が狭いばかりに一種の共鳴が起きてしまって、地球規模の均質化が起こることを意味する。そして、世界で一番活躍している国、アメリカとの共振の割合がグローバリズムには多く、ただ、アメリカが指導的立場にいるに過ぎない。

 アラブはイスラム教の原理で動こうとするが、石油のために世界規模の経済圏に取り込まれているからそういう自由は許されない。しかし、石油がたまたまあったから取り込まれるに至ったという不釣合いな力学が、アラブ自体の判断を誤らせることになった。アラブは世界的規模の義務を果たさず、世界規模の経済圏から多くの利益を得ていることを忘れて、半ば自分勝手な行動をしているのである。もしイスラム教国としての自由を得たいのであれば、フセインのイラクのような独裁国家でありたいのなら、石油を少なくとも捨てる必要がある。

 アメリカのイラクへの戦争は、そういうアラブの石油を持ってしまったがゆえの義務を果たさない理由が私がよく見えるので、戦争がいかに非生産的な行動であるにしろ、表立って批判する気にはなれないのである。それはイラクだけに言えることではなく、多くのアラブや他の国にも言えることだが。

 イラクへの開戦の正当性とは何かということが開戦の前からいろいろ議論されてきた。そして開戦後も議論されつづけることだろう。ただ、私は国連とか国際法とかそこから来る根拠をあまり信じることができない。国連は異常な力学の場であり、国際法も同様だからである。それについては後で述べることにして、日本としてはどう立場を取るべきかを書いてみる。私は傍観するしかないと思う。賛成するか反対するかは恣意的な問題だ。恣意的な問題でなくなるのは、一緒に攻め込むか、イラクに援軍を送るかという選択を取るときだけだからである。日本としては、戦争についてはまったく介入するすべを持たないのだが、戦争後の復興の責務を多く負わされている。言わば、後始末である。

 物事後始末ほどつまらないことはない。簡単に言えば戦争するのは精神的に楽であり、その後の事後処理が大変である。大変だいうのは、それは、重要なことだからである。しかし、アメリカにとってはたぶん、後始末より戦争自体が重要という感じを受ける。それは武器の余剰在庫を処分し、多くの費用を掛けた軍事物資を使うことで、まったく使わないで破棄されるという矛盾を回避できるし、不況下でいまいちアメリカという国の方向性が定まらないところを戦争という形を与えられるのだし、パフォーマンスとしても申し分ない。戦争をどうするかというのは、それによってどれだけの被害が出て、どれだけのものが失われてなどというマイナス面を考えなければ、まったく楽しいものでもあるからだ。

 日本にしてみれば後始末しかない。後始末にしても、イラクの国家としての方向性を決めることができる権利を得るわけでもない。まったくの出し損である。しかしそれが日本の役目らしい。他の国はまったくいい思いをしているよと言いたくもなる。とくに、戦争に反対と言いながら、戦後の利権を虎視眈々と狙っている、フランスやドイツなどに。国連へ多くの金を拠出しながら発言権はほとんどない。まぁ、拠出金を発言権から推測される額に減らせばいいのに、イラクの戦後復興も発言権のレベルに……と思うのだけど、日本はとても良心的なのか、そういう意見をあまり聞かない。それでいて、アメリカの半ば従属だからアメリカの行動に対して賛成しなければならないとか、戦争は回避すべきで国連の同意も得られていないと反対するなど、なんらかの妥協点を見出して整然とした論理で分かりやすい行動をすることもなく、だらだらと論争するのみ。そういう状態を見ると、半ば無策だという感じでアメリカの行動に賛成する政府のやり方の方がまだましと言える。

 実際戦争が行われるイラクの人は私が考えていることを聞いたらどう思うんだろうな。独裁政権で上には逆らえず、アラブの独立性を支持するために他のアラブ各国はフセイン独裁を看過するのみ、それで、アメリカは攻撃を仕掛けてきて、びくびくする。まったく不幸であるなとしか私としては言えないのが何か悲しい。