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2003/03/02: 経済考その2

 2003/03/02 の読売新聞朝刊にサミュエルソンの論説が載っていた。経済学者で分厚いマクロ経済学の入門書的教科書を書いていて、少し読んだ記憶がする。とにかく、経済学者の大家の一人だと思う。

 期待して論説を読んではみたが、とくに面白いアイデアが載っているわけでもない。普通の経済学者の立場として昨今の困窮する経済状況に対する正論をそのまま書いているに過ぎない。しかし、その論説には経済学者としての矛盾と言うか自重気味的意図を少しは感じる。政治・経済がマクロ経済学に従った行動をしていないという批判、かつて同じような厳しい経済状況では古典的な経済的手法で解決したから、今回も同様に古典的な手法、つまり、マクロ経済学をよく見直せ、アメリカは貴族化する傾向があるなどなど。論説はまったくそうだと言うほかなく別に問題はないと思うのだが、正論を言うしかないということにある種の苦悩を感じるのだ。

 サミュエルソンは現実主義のことを言及しているが、現実主義とマクロ経済学はまったく相対する立場である。マクロ経済学に従えば、経済は好転するだろうと言っているのだが、そこには現実主義が必要だとも言っているのである。はっきりとは言及してはいないが。

 今の経済というのはマクロ経済学で定義されているモデルを超えていると思う。それによって多くの経済的拡張を実現したわけだから。そこでマクロ経済学を適用したところで、モデルの型に当てはめることでしかないから経済がしぼんでしまうだけであろう。たぶん、このことに多くの経済学者も気づいてはいるんであろうが、それは自分たちの理論を否定することでしかないからそこから先に進むことができない。たぶん、これが今の経済学者及び学者畑出身の行政官をしがらみと私は思うのである。

 ま、学者はみな頭いいから自分たちの枠組みでそれを解決することは可能ではあろうが、現実は待ってくれない。ただ、現実主義的な立場の経済人であっても、手馴れた従来の経済学の枠組みを超えることは難しい。というよりは、建前のしくみと、実際のしくみとの2つのしくみが経済にあって、建前で行動しながら、結果は実際のしくみでいくようにするという二重の構造にあって苦しんでいるのでどうしても視野が狭くなってしまう。だから、現実主義に凝り固まった経済人であっても、学者が直面している壁を易々と乗り越えることはできない。

 その壁とは何かというのが問題である。私は極めて知識が少ないから、独断と偏見に満ちた直感でしか言うことができない。端的に言えば、現実の収入と支出のバランスがおかしいのではないのかということである。モノに限定すれば、生産するものと消費するものはバランスが取れている。消費にストックも含めればであるけれど。しかし、金に関しては収入と支出のバランスが異常なのである。現在は、経済の状況があやしいから、収入と支出のバランスを合わそうとしている。収入と支出のパイプは経済の中で複雑に繋がり、分かれ、そして繋がっているので、このバランスを整えるということはすごく難しい。難しいというよりは、経済を止めないとバランスは整わないのではないかと思う。ただ、実際問題止めることは不可能なので、経済のパイプの絡まりを単純にして、規模を小さくした上で整えるしかない。そして、これこそが現在の経済政策なのである。

 収入支出のバランスと言ったが、それは支出がかなり大きくなっていることを意味する。ただ、収入は過去で、支出は未来に相当するので、未来において収入を確保すれば経済的には問題が生じないことになる。これこそが戦後の長期間において経済を活性化させた理由だと思うのである。収入支出がバランス取れていることを経済の理論は要求するのであろうが、現実の人間社会はそれでは窮屈過ぎるのでそれを事実上取り払うことが必要であった。そのためのしくみが株であり先物取引であり債権市場なのである。

 しかし、情報化社会になったことで、そして、現在の経済のしくみの認識が多くの人に知れ渡ったことで、暗黙の支出超過をごまかすことができなくなった。支出超過の経済に不審を持った人が多くなったことで、経済の動きが止まってしまったというのが現実の経済低迷の原因でもある。こればバブル崩壊という単純な言葉で済まされないことなのである。バブル崩壊という言葉には一種の強制が含まれている。バブルはいけないもので、それは否定されるべきもので、そして、バブルは崩壊するものだと。

 現在の経済レベルとしてはバブルが必要だと私は思うのである。ただし、かつてのバブルは盲目的であったがゆえにその構造は不安定なものだった。これからのバブルは明示的なものでないといけないのである。未来のあるべきバブルとは何かということが問題になろうが、ここでバブルという言葉を使うことはあまり妥当だと思えない。用語的にバブルは弾けるしかないのである。

 収入支出のバランスに立ち戻ってみると、収入<支出であることが経済に必要である。会社の帳簿上は収入>支出でないと会社はやっていけない。けれど、経済全体では収入<支出でないといけない。これは難しい問題である。これを実現してきたいろいろな要因を述べると、会社の規模拡張による債務増大、税金収入の増大、株価の増大、インフレである。主に4つ述べたが、いずれも現在の政策からは否定されてしまっていることだ。つまり、収入<支出ということを実現することはかなり困難だということである。

 しかし、確実に収入<支出ではないと経済に未来がないと私は思う。だが、それを理論的に実現しようとしている人の論説を私はまったく見たことがないので悲しいのである。私の思っていることが間違っているからないのかもしれないが、私が間違っているのかということを自分としては確認することができない。そして、私が間違っているのならそれ以上のいい方法を提示してくれる論説が新聞なりニュースなりで出ればとは思うのだが、そういう機会にまったくお目見えすることはない。まったく悲嘆にくれるばかりである。

 次の機会に「収入<支出」のしくみを述べようと思う。