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2002/09/22: 経済考

 そのうち経済がよくなるんであろうと楽観視していたものの、全然ダメらしい。 株で経済を復活させることはそもそもできない話なのに、ひたすらそれに頼っている ことからも明快だ。株価なんて上がるか、下がるか、平行線かの3パターンの形しか ない。そして、今は下がっている状況。それは流行であり逆らうことはできない。 逆らえば損するのだ。今は空売りに制限が掛かったが、それでも、株価が下がることで 利益を受ける手段を多くの投資家・証券会社が講じているわけだから、そうそう株価が 上がるわけもない。

 株というのは一種の経済の借金である。ふつう会社というものは自分の持つ借金を 増やすことで成長していく。会社の経済的生産力に対して借金が大きすぎれば 会社は破綻するもんだけど、借金を大きくしなければ会社は成長しない。なんか 矛盾を感じるところだけど、それが市場経済、資本主義経済の根本なのである。 株価が下落している、つまり、株の価値が経済全体で減っているのは、経済の持つ 借金の総額が減っているのである。

 そこで、借金が少なくて収益が大きいいわゆる優良会社を考えてみる。そういう 会社を一言で言えば、どこかでうまい汁を吸っている詐欺会社。人と金と モノからなる経済は、どれだけ人が動けば、どれだけモノが動いて、どれだけ金が動くかという ある種の割合が決まっている。少ない人の動きで、たくさんのモノが動き、さらに、 たくさんの金が動くというバロメータが会社の収益性を示すものなんだけど、この関係は その会社の業務が健全であれば健全であるほど低いはずである。とても健全な会社 だったら収益性もとても低いというわけではなく、この収益性の最低値は科学技術力の高さに依存する。科学技術が高ければ収益性の最低値は高くなる。 そして、健全でありかつ収益が大きいというのはこの力学の矛盾しているのだ。 この辺で具体例をあげるべきなんだろうが、ここでは、よくある優良企業は大体詐欺率が 高いとだけ言っておこう。ま、詐欺というと悪く響くが、ぼろ儲けとちょっとは響きのいい言葉に 置き換えることもできる。 ただ、健全だから人・金・モノの割合が低くて収益性が低いと言っても悲しむことではない。 収益性が低いからといってその会社が破綻する程ではない。 収益性を高めたければ、健全度を低くすれば自然と収益性を上げることができる。 ただ、この健全度は低くするのは楽なんだけど、高くするのは偉く難しいので注意が必要なんだが。 一つだけ言っておきたいのは、この不況の中、好調さをアピールしている会社をそのまま信用してはいけないということである。大体そういう会社は必ずしも好調ではない下請け会社の影の力によって好調さを維持しているのだ。それは、好調な会社自身が収益そのものを作り出しているのではなく、本来享受すべき利益を受けられない他の会社の利益を吸い取っているのである。

 よく、リストラや厳しいコスト削減によって会社を立ち直らせるケースを目にする。 けど、そういうのは無駄をつぎ込んで確固たる業務を構築していった会社の成り立ちを無視し、 現在業務が確立したから、無駄を削って現状の業務の収益性を高めただけなのである。 そういう会社は今後経済改革が起こったときにそれに乗れる可能性が低い。無駄という新しい動きに対応する手段ができなくなっているのである。利益がすべてではなく、その会社が社会においてどれだけ創造的な何かを業務として行えていることが必要なのである。

 ただ、不健全で収益性も低いという会社もあったりする。そういう会社は削っても いい無駄があるし、その無駄を削っても会社の活性度は低くはならないだろう。 こういう無駄を減らそうなどとよく叫ばれているのが現在らしい。 だが、不必要な無駄と必要な無駄を区別できていないのが現実なのだ。 ダイエットするのに脂肪も筋肉も落とそうとしているのである。 ダイエットでよくある脂肪が更に増えてしまうリバウンドという現象も経済の中では起こっている気もする。それは会社の悪いところを削ってしまうばかりに、その悪いところを自覚している人材も削ってしまって、ダイエット後に悪いところが自然と伸びる様を防げなくなるということだ。

 今の経済の低迷の原因は何かというと真っ先にあがるのが不良債権である。しかし、 不良債権は低迷の結果であるはずなのに原因としてしまっている経済界の趨勢は 悲しむべきものがある。焦げ付きそうな借金が不良債権で単純に考えても存在悪だと いうのは言える。ただ、不良債権は被債権者の経営状況という結果でしかない。 確かに、被債権者が潰れればその債権は完全に価値を失ってしまう。だから、不良債権は債権者から見ればない方がいいに決まっている。しかし、不良債権というものはあくまで債権であり、それを不良、優良と評価してできた結果論であり、不良債権という債権とは異質のものが実際存在しているのではない。 株の世界はフィードバック構造をしている。経済が活性化すると株価が上がり、それが更に経済を活性化させる。言い換えると、株価が上がれば経済が活性化し、それによって株価が上がりより経済が活性化される。経済は借金の量に依存しているが、それが健全であるかが借金の質を意味している。借金が大きければ経済規模は大きいと言えるが、借金の質が悪ければ経済の活性度は悪いと言える。 それを 債権という言葉に置き換えれば、経済が活性化すると不良債権が減り、優良債権が増え、 それによって経済を活性化させる。ここで重要なのは、経済の活性、不活性に関わらず 経済の規模で債権総額が一定なことである。一方、株価は上がらないと、そして、 経済に出回る株の総量が増えないと経済は活性化しない。

 債権総額を減らすことは経済規模を減らすことであり、それは株価が下がるという ことが、債権と株価の一致する部分である。株価が下がっている現状は経済規模の 縮小を意味しているし、それは債権総額を減らすことも意味しているのだが、これは 不良債権を減らすこととは何ら関連しない。けど、世の中は不良債権を減らせと 言っているのである。

 ここで重要なのが実は、人、金、モノの割合なのだが、この割合の詳細な研究が どこかの経済学者によってなされているんだろうが、私は門外漢なので知らない。 この辺で確固たる証拠を見せるような劇的なイベントがあると経済界の考えが大幅に 変わって資本主義経済がなんたるかを多くの人が理解することになるんだろうが、 今それがないということは、そういう研究者がいないということなのか。これは、 経済の力学の理解に起因する。よくマクロ経済学という本があったりするけど、これは 科学的な内容というよりも経験的な内容の割合が多くあまり面白くないものである。 そういう本を読んで経済的知識が得られたと思ってしまう人が多いことが、 経済の力学がきちんと理解されていない今現状を意味しているんだろう。とか、 根も葉もないことを言っているかもしれないが、門外漢の直感的で純朴な私の 素直な本心なので我慢して欲しい。

 現在の不良債権削減の動きは経済規模縮小の動きであり、それは、株価低迷から 経済規模の維持ができないことを意味している。これは株に依存したわけの わからない経済規模拡張の結末なのである。これはバブル時代だけの原因ではなく、 それ以前の高度経済成長時代も含まれている。それはどういうことか述べてみよう。

 いわゆる高度経済成長の中、日本は経済発展とともに経済力と直結している生産力が 向上した。ある時、その生産力が日本の包容力を超えてしまったのを多くの人が 気づくことがなかった。あり余った生産力は暴走を始める。経済発展とともに 進展した国土開発(道路、ダム、地方環境整備などなど)を更に推し進め、 ODAの名のもと海外にも生産力の多くが注ぎ込まれた。その生産力をカバーするだけの 経済規模は株価や地価の上昇でカバーされた。株価は再帰効果によりどんどん高騰し、 株バブルが進展した。そこである時気づいた。我々は何をやっているんだろうと。 そこで、一気に株、土地バブルが弾けた。それにより経済規模をカバーしてきた バブルによって生じていた資産が消失した。大量の不良債権の名のもとに。ただ、 バブル崩壊後も、依然、日本経済はある程度回転はし続けた。それは海外、その多くは、 アジアであるがに向けられていたからである。ただ、アジアの経済が活性化していく 中で日本の生産力がだぶり始めた。そこで、生産力の基盤をアジアに移転してコストを 削減することによって、生産力自体は維持できたのだが、その基盤の大部分を占める 日本経済の空洞化し始めた。改革路線の中国が生産力を向上し続ける中、日本経済の 空洞化によって何とか維持してきた日本の生産力も、維持できなくなった。そこで リストラや構造改革が始まった。というのが大体今までの道筋である。

 リストラや構造改革はあくまで日本の生産力を下げるものなので、今後悲劇が 待っているの違いない。日本経済の空洞化によりカバーしきれる生産力がかなり低く なってしまっている。ちまたに100円ショップが溢れていて、よく利用したりするけど あの店ほど酷いものはない。主に外国アジア製なのだろうが、モノの価値を一気に 下げてしまったために、日本の高い生産力の行き場をなくしている状況を多く物語って いるからである。私は100円ショップを見るたびにばかばかしくなってくる。 日本の生産力の激減を最も端的に強烈に示している象徴だからである。

 私は経済力のバロメータは生産力だと思っているので、経済改革だと言って、 リストラ、コスト削減などと日本の生産力が大幅縮小していくさまを見ることは、 真に日本の経済力凋落を目に見るようで、日本人として本当に悔しい思いである。 経済低迷を打破するのは、生産力を維持するための内需というか日本の経済活性度を 上げるしかない。ただ、それは、株価上昇によって成すべきことではないのである。 株価上昇のために、収益性とかいわゆる健全性(先に述べた健全とは違う)が 必要なんだとひたすら主張されているものごとは、逆に結果するんじゃないのかなと 思ってもいる。そこで凋落した日本経済から復活するのもいいかもしれないが、 少なくとも、後、十数年は凋落の時代であるので厳しすぎるし、もったいない気もする。

 今日本の直面している経済的危機は、生産力の目減りをなるべく避けながら、 高い生産力の受け皿となる活性化した経済状況を得ることなんだと思う。そのために 何をするべきなのかという問いかけに答えることはかなり難しい。なぜなら、 それは国の目標として何かとてつもなく大きいものを立てないといけないし、 その目標に進む上で、生産力と経済活性度を調和させていくべき確固たる根拠を 与えなければいけない。たぶん、目標を立てることはそれほど大変ではないんだろう とは思うんだろうが、調和を図ることがかなり難しいのである。調和を図るということを 簡単にやるには実は少ない選択肢しかない。それは戦争だ。

 アメリカが日本のような問題にあまり直面せず、経済的困窮を味わないのはこの 戦争という安易な手段があるからだ。アメリカには世界の番人となるべく活躍するという 大義名分から、国内の需要を自然と高めることができる戦争こそがアメリカ経済の 原動力なのである。今、現在、9・11事件の原因もあろうけど、アメリカがイラクなり、 アフガンなり、北朝鮮なりに超圧的態度に出るのもすべて戦争により経済を活性化させる 目的があるからだろう。だから、平和的な民主党から挑発的な共和党政権になって、 9・11事件のきっかけとなる高圧的で独り善がりな外交策に転じ、紛争が起きて それをアメリカが戦争で大量の生産力の需要をカバーしていく方針はかなり悪に 感じる。

 ただ、ここによい材料があるとも言える。戦争は非生産的な行動である。けど、 アメリカは多くの国力を消費して強固な軍隊を編成し、そして、多くの国力を消費して 軍事作戦を行っても、アメリカ経済が破綻しないのである。これは、実は高度な アメリカの生産力がある程度の破天荒、つまり、生産に直結しない無駄を許容する ことを意味している。つまり、これは多くの無駄をしても経済収支が狂わないこと、 それが無駄であっても、高い生産力がある国では、その生産力をカバーするための 需要を満たすことができれば、無駄によって生じる不均衡を解決できるということなのだ。

 だから、今大いに無駄を行う時期である。ただ、無駄は日本社会、そして、経済に 対してその存在理由を確固たるものとして示さなければ、社会、経済を混乱に導く元になる。 ただ、今知られている数少ない(唯一かもしれない)ものは戦争しかない。とは言え、 戦争せよというわけではない。確固たる理由を定められることができれば、他の何かで あってもいいんである。それが何かを言うことは簡単だが、根拠付けることがしごく 難しい。本当に難しい。何で難しいんだよと叫びたくなるぐらいである。それは 日本に全体を説得することができる高いリーダーシップを持つ人が、それをするんだ、 それをすることが日本の未来なんだと強く主張し、そして、日本全体が行動し始める ことを意味する。難しいことがよく分かるよね。

 難しいことの一つは、人一人一人の監視の目が厳しくなっていて、ちょっとでも 欠陥があれば難癖をつけられて実現できなくなっている、私は異常とは思っても いるけど、そういう時代なことが一つ。大局的な視野を持ち、日本の経済がどういう 力学の元、今の状況が起こっていて、それを解決するには何をしなければならないか ということを多くの人が理解することがもう一つ。さらに、リーダーシップを張れる 人が皆無なのも一つ。環境問題やらに厳しい世の中だけど、なら、どういう方向で 経済が向上するかを予測立てられる人がどれだけいるかというのも一つ。 という感じでこの一つ一つが限りなく続くそういう世の中だからな、今は。

改訂:2002/09/26
初稿:2002/09/22